7.おりづるプロジェクト・オンライン

一人ひとりの行動が集まれば、平和がこだまする~キューバから平和を~

9月26日、ピースボートが1990年から交流を続けているICAP(キューバ諸国民友好協会)との共催で、第43回目のオンライン証言会が開催されました。証言を行ったのは、メキシコ在住の山下泰昭さん。核兵器廃絶国際デーを記念したイベントで、これまでに150名以上がこのYoutube映像(youtu.be/mJyJZ8TUR0M )を視聴しました。キューバに加え、ブラジルやコロンビアなど周辺国からの参加者もいました。キューバは核兵器禁止条約の早期批准国であり、広島・長崎の原爆投下の歴史を子どもたちに教えるなど、国をあげて核兵器廃絶に向けて取り組んでいます。今回の司会、コーディネートは、メキシコ出身のピースボ―トスタッフ、アドリアン・ゴディネスが務めました。

ピースボートを代表して司会を務めたアドリアン・ゴディネス

被爆、めまい、差別。そしてメキシコへ

山下泰昭さんは、6歳の時、長崎で被爆しました。爆心地からの距離は2.5kmでした。当時の山下さんは、山にとんぼや蝉を探しに行くような自然が好きな男の子でした。そして8月9日、お母さんが料理をする傍らで、遊んでいたときでした。何千ボルトとも言える閃光が一瞬で放たれ、周りの全てのものが舞い上がりました。その直後の異様な沈黙。アメリカがついに化学兵器を使ったか、と周囲の大人は考えたそうです。一緒にいた山下さんのお姉さんが、泣きながら、「お母さん、私の頭に油が…」と言って助けを求めてきました。お母さんがそれを見ると、お姉さんの頭は小さなガラスの破片で覆われ、血が流れていました。それを、お母さんが一つ一つ抜き取り、血を拭いていたのを覚えているそうです。

家族で防空壕に向かうと、近所の人々がたくさん集まっていました。山に行っていた子どもたちの一人は、背中に大やけどを負っていました。その火傷にはウジがわいてきました。彼は3日間苦しみ、山下さん自身も、それを見て悲しく苦しみましたが、薬も消毒もなく、どうすることもできなかったそうです。友だちは死んでしまい、山下さんらもひもじい思いをしながら防空壕の中で生活したそうです。

証言する山下さん

なんとか生き延びた山下さんは、高校を卒業して長崎にある原爆病院に就職します。そこでは多くの被爆者が治療を受けていて、ガンや白血病に苦しんでいるのを目の当たりにしました。山下さん自身も、原因も見つからず、貧血状態となり、出血し、頻繁に倒れるようになりました。患者として治療を受けていた男性は山下さんと同じ年齢で、その男性が亡くなると、自分もこのように亡くなるのではないか、という恐怖に苛まれました。患者の多くが放射能の影響を受けていましたが、当時はその原因が明らかでなかったため、周囲の人々から避けられるようになりました。その頃、被爆者は結婚を考えるとき、うつされるのではないか、子どもに影響があるのではないか、と差別を受けました。被爆地を後にした人でさえ、長崎または広島の出身ということが分かると、結婚に対し強い反対を受けました。差別を苦にして、自殺を計った女性も少なくありません。軍拡競争の時代に入り、太平洋での核実験が行われる原爆投下後10年後まで、人々は放射能の存在や影響について知ることはなかったのです。

山下さんは、そのような日本の生活に別れを告げ、彼が被爆者であることを誰も知らないメキシコに旅立ちます。体調の不良は続きましたが、とにかく被爆者であることを隠し続けました。

1995年、フランスが水爆実験を行ったことを受け、彼は口を開き、語り、痛みの共有を始めました。核兵器の影響は、単にその時の強烈な爆発だけでなく、遺伝子変異を起こさせ、世代を超えて続いてしまう。自分のように苦しむ子どもたちが後を絶たなくなっています。私たちは核兵器に反対し、長崎や広島の悲劇を繰り返してはいけないのだ、と語り始めたのです。山下さんは、「一人ひとりの行動は小さくても、みんなが集まればこだまする。いつか核兵器の脅威から免れ、平和に生きることができるはずだ」と締めくくりました。

軍拡をやめて、社会の諸問題に取り組もう

証言を聞いたキューバ国際関係高等機関のレイデ・ロドリゲス・エルナンデスさんは、強く心を打たれ、山下さんに深い感謝を伝えました。それに加え、今も続く軍拡競争に警鐘を鳴らしました。世界大戦は終わったものの、地域レベルでの紛争は絶えず、国々は軍事力強化に舵を取っています。加えて、国際法に反するような経済制裁や脅迫行為も行っています。山下さんのような、平和を築くための不断の行動や国際世論が不可欠であり、力を合せ、貧困や温暖化といった社会的問題に対面していかなければならないと主張しました。

世界の紛争は、軍事力で解決すべきでないと語るエルナンデスさん(右)

日本からは、ミゲル・アンヘル・ラミレス駐日キューバ大使が参加しました。山下さんの話に感銘を受けたラミレス大使は、「核兵器は過去のことでなく、いまこの世界の安全と環境を脅かす状況にあり、飢餓や貧困、病気といった基本的な問題に取り組む足枷になっている」と話しました。「私たちは、大量破壊兵器のない、平和な世界に生きる権利がある」と締めくくりました。

力強いメッセージを伝えたラミレス大使

核なき世界と国際貢献を

今回、山下さんはスペイン語で証言してくださいました。長崎での経験、メキシコでの暮らしについて、淡々と語られました。強いインパクトで訴えることはありませんでしたが、山下さんの心の内がじんわりと伝わりました。あの日、あの場所で被爆した人々が、どういう思いで、どのように生きてきたのか、それを共有できた証言会でした。

参加した人からも、多くのメッセージが寄せられました。「今日のことを忘れずに、核兵器のない平和な世界を作っていこう」「ラテンアメリカは平和地帯。ここから平和を発信しよう」「核のない世界は可能だ。キューバは止むことなく連帯していきます」と。それに加え、長年に渡ってキューバを苦しませてきた「米軍基地のグァンタナモをなくすことにも全力を尽くそう」「経済封鎖がなくなりますように」というやりとりも見られました。キューバは、多くの医師を始め教育者、芸術家などが海外で活躍、貢献しています。軍隊を送るのではなく、軍事力で相手を脅かすのではなく、対話や協力で関係を築いていく方法があると証明してくれています。

核兵器の問題も、それぞれの国が抱える問題も、その立場に立って想像し、どのように向き合うのか、ラテンアメリカの方々と深く考えた証言会でした。

文: 松村真澄

 

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