7.おりづるプロジェクト・オンライン

体験談を読むよりさらに力強く人間味を感じた、とペンシルベニア大学の学生

1月27日、ペンシルベニア大学の講義にて9名の学生とともに第53回目のオンライン証言会が行われました。今回はペンシルベニア大学博士課程に在籍(当時)しながらピースボートスタッフでもある畠山澄子さんの企画で、広島の被爆者・近藤絋子さんとのセッションが実現しました。

証言会に先立ち、澄子さんからのメッセージが参加者に伝えられました。

「これまで授業では原爆がどのように開発されたか、どのように投下が決まったのか、政治的、科学的、軍事的視点から見てきました。今日、絋子さんは爆心地近くで実際に経験された原爆投下について、彼女自身の体験を語ってくださいます。原爆の「影響」、それは単に物理的な破壊力ではなく、もっと長期的で、人間に対する身体的、精神的、社会からの差別的影響なのです。原爆による被害というものが実際にどのようなことを意味するのか、紘子さんのお話を聞きながら考えていけたらと思います。」

これまでの授業と、今回の証言会を企画した畠山澄子

その後すぐに、近藤紘子さんの証言が始まりました。

「日本で高校を卒業した後、ペンシルベニアのハイスクールに1年通っていたことがあるわ。今日はお話の機会くれてありがとう。」と、絋子さんのにこやかな笑顔で始まった証言会。アメリカの大学を卒業された絋子さんは、流暢な英語で学生たちに語ってくださいました。

(以下、紘子さんの証言する言葉そのものを引用している部分は太字で表現します)

1945年8月6日、青空の広がる美しい夏の日。教会の友人が母を訪れ、8ヶ月の私を抱きながら話していた。その時突然、爆風により家が吹き飛ばされた。母はしばらくの間意識を失ったが、意識が戻ると私を抱いて、やっとの思いでがれきから逃げ出した。外に出ると、辺り一体が火に囲まれていた。

一つ一つ丁寧にお話くださる近藤紘子さん

今ではアメリカを含めさまざまな国の人たちに向けて、被爆者の声を届けることに尽力されている絋子さんですが、子どもの頃は原爆を落としたアメリカに憎しみを抱いておられました。

当時周りにいた子どもたちの身体的被害から一発の原爆の残虐さを目の当たりにし、

“原爆を落としたアメリカ兵を、いつか必ず見つけ出してやる。”

と、子どもながらにそう決心していました。

 

1955年、紘子さんが10歳のとき、原爆を投下したエノラ・ゲイに乗っていた元アメリカ兵、キャプテン・ルイスさんのお話を聞く機会があったそうです。

「原爆を落としたことを、今どのように感じているか?」

その質問に彼は、

「一瞬にして消えてしまった広島を上空から見下ろしたとき、あぁ、自分はなんてことをしてしまったのだ、と思わずにいられなかった。」

と涙ながらに答えたのです。

彼のことを悪人だと思っていたがゆえ、それを聞いた瞬間とてつもなくショックを受けた絋子さん。

 

終わってから彼の隣に行き、手を取って謝った。それしかできなかった。

“ごめんなさい。私はこれまで原爆を落としたあなたが悪だと思っていた。でも本当は違った。

憎む相手はあなたではなく、戦争そのものなんだ。”

 

牧師だった絋子さんのお父さんは、戦後、たくさんの被爆者や孤児たちを助けることに身を捧げておられました。教会での最後の説教にて、彼がなぜそんなにも人びとの救済に尽力していたかを語ってくれたそうです。

あの日、父は数えきれないほどたくさんの人たちから助けを求められるなか、私たち家族だけを探して走った。その時の悔やみきれない気持ちが、後に人々を助け平和のために活動する原動力となったのです。

まだ幼かったゆえに当時の記憶がほとんどないという理由から、長い間ヒロシマのことを語り継ぐことを拒んでいた絋子さんは、それを聞いた時、なぜお父さんがそこまで献身的であったかがやっと理解出来たのです。

それから今日まで、絋子さんは証言を続けながら、お父さんの築いた足跡を歩んでおられます。

“ヒロシマとナガサキから76年経った今、広島と長崎のたくさんの人たちが核兵器廃絶を要求しています。それでもこの世界にまだたくさんの核兵器を持っている。この悲劇が二度と起きてほしくないから、若者たちに伝えてゆきます。皆に平和な世界を生き続けてほしいから。”

セッションを終えて 学生からの質問とフィードバック

・私たち若者は戦争を防ぐために何を理解するべきか

— 政治家の考えを変えるのは難しいけど、私たちは皆同じ人間だという価値観を共有すること。そしていつか、広島や長崎を実際に訪れ、その地に立ってみてください。そのとき心に感じた記憶は、あなたの中でずっと生き続けるはず。

・戦争を体験したことのない私たちの世代や戦争に無関心な人たちに、どのように働きかけることが出来るか。

— 私たち被爆者からの声や体験を、身近な人たちにも伝え継いでほしい。そして、一人ひとりが自分に何が出来るかを考えることも大切です。

・原爆投下の誤解を正すため、私たちに出来ることは?

— 歴史からお互いのことを学ぶことは大切。アジアの人びとにお話をするとき、まず初めに私たち日本人が(戦時中に)したことを許してくださいと伝えます。2年前、パールハーバーの元兵士に会う機会がありましたが、彼は日本を憎んではいなかった。“ 戦争をしてはいけない、我々は皆同じ人間だ。”という私たちの気持ちは同じなんだとわかりました。

 

証言会を終えて、学生の皆さんよりたくさんの貴重なフィードバックをいただきました。

その一部をここで紹介したいと思います。

・原爆が彼女の身体的、社会的、精神的に及ぼした影響を直接聞くことは、体験談を読むよりさらに力強く人間味を感じさせるものであり、心に響くものでした。そして、同じ悲劇を二度と繰り返さないために自身のお話を語り継ぐ勇気に感銘を受けました。

・悲劇的な出来事の後でも粘り強く生きる絋子さんの姿に心を打たれました。そして、最も感動したのは共感力の強さです。彼女が抱いていた憤りや復讐心を許し、戦争という状況そのものに向けた絋子さんにとても感動し、人間性を理解しあうことの必要性や、共感することの大切さ感じました。

 

感想の中には、同じ人間としてお互いに理解し合い、共感する心が大切だということ、経験を語り継ぐ勇気、そして被爆者の『生の声』を聞くということがどれほど貴重なことかを感じたという声が多くありました。

そして、現代における核戦争の危険性や、共感と理解を深めるために、国家間レベルにおいて対話という方法がどのように有効なのかなど、さらに詳しく知りたいという感想もありました。

今回、こうしてまたたくさんの若者たちが被爆者の方の想いを受け取ってくださったことはとても嬉しく、心強く、そして同時に勇気づけられることでもありました。

子どもは産めなかったけど、ふたりの赤ちゃんを養子にしたわ。今、私は母親であり、おばあちゃんです。人生にはどうしようも出来ないと思うことがあっても、いつでももう一方の道が現れるものよ。今、自分が生きていられることに感謝。あとどれだけ生きられるかわからないけれど、私の祈りと希望が、話を聞いてくれる人々に届きますように。今日は本当にありがとう。

 

いつも優しい笑顔の中に、力強いメッセージを届けてくださる絋子さん。絋子さんがこれまで培ってこられた共感の心と粘り強い生き方に、私たちはいつでも前へ進む姿勢を学ばせていただいています。

ロシアとウクライナをめぐり世界中の混乱と不安の中、今こそ被爆者の声と平和への想いが世界へ届くことを願います。

文:高尾 桃子

編集:渡辺里香

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