2021年11月30日、第50 回目のオンライン証言会は北欧のノルウェーとつないで開催しました。
今回の主催者は、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ノルウェーのアンヤ・リレグラッベンさんとICANノルウェーのトゥバ・ウィルショルドさん。人類学者、作家、オーストラリアや米国在住の友人、約15名が参加してくれました。
今回、広島での被爆証言をして頂いた田中稔子(としこ)さんは、6歳の時に被爆されました。原爆が投下された1945年8月6日8時15分、稔子さんは小学校へ登校する途中でした。突然激しい光で、目の前が真っ白になり、気がつくと稔子さんは右手で顔を覆っていました。命こそ助かったものの、頭、首、右腕に火傷を負っており、右腕は水ぶくれを起こしていて、稔子さんの身体に大きな痛みを与えました。
命からがら自宅へとたどり着いた稔子さん。自宅は原爆で破壊されていましたが、幸いお母さんは助かりました。しかし、家に帰ってきた稔子さんをお母さんはすぐに見分けることができませんでした。このときの稔子さん、髪は焼けただれて、灰をかぶっており、衣服は大きく破れていたからです。また、外には、死にゆく人々の大群衆が見えました。 彼らは稔子さんの家の近くで行列を組んで歩いており、男性も女性も子供も同様に、焼けた服を着てほとんど裸の状態でした。彼らは歩くとき、焦げた皮がむけて指先からぶら下がっていて、腕を前に伸ばした状態だったので、稔子さんの目には彼らが幽霊のように見えました。
しかし、このとき稔子さんには屋根と天井の間から美しい青空が見えました。この青空は「明日は必ずやってくる」と、稔子さんに生きる勇気と希望を与えてくれたようなものでした。 だからこそ、稔子さんは多くの苦難を乗り越え、今日まで前向きに生き続けています。
被爆してから時間が経つにつれて、稔子さんの皮膚のやけどは目立たなくなりました。 しかし、精神的な傷と放射線による後遺症は残りました。この放射線による後遺症こそ、原子爆弾の恐怖を象徴するものです。2歳で被爆し、12歳の時に白血病で亡くなった佐々木禎子さんのように、原爆投下から時間が経っても被爆者を苦しめました。
稔子さんも放射線による後遺症が12歳の頃から現れました。絶え間ない熱と倦怠感に苦しみ、時には気を失いました。このとき、いつも口の周りに潰瘍やしみがあり、食事を取ることさえも苦しかったそうです。これまでに手術を何度も経験しており、骨折、膝、白内障の手術を受けました。中でも稔子さんは、こどもの出産を心配しました。当時、原爆を受けた女性から生まれた子どもは、奇形児が多いと言われていました。最初の子どもが生まれたとき、稔子さんのご主人は子どもの手足に指があるかどうか確認したそうです。被爆者と被爆2世に対する偏見が強かったことが表れており、稔子さんは「この惑星の誰もが同じ悲劇に苦しむべきではありません。」と語りました。
稔子さんの世代は、原爆の直接の目撃者として、被爆した経験を語り継ぐことができる最後の世代です。証言の最後に稔子さんは、2017年にICANがノーベル平和賞を授与された際に、ノルウェーのオスロを訪れたときの経験を話しました。3年前のことですが、オスロの人々や街の雰囲気を今でもよく覚えています。そして、2022年3月の核兵器禁止条約の第一回締約国会議(その後延期が決まりました)に、NATO加盟国として初めて、ノルウェーがオブザーバー参加することを大変喜んでいるとノルウェーからの参加者に伝えました。
その後質疑応答の時間に移り、時間の許す限り皆さんの鋭い質問に一つ一つ丁寧に稔子さんは答えられました。参加者の一人は稔子さんが自分の被爆証言を話すきっかけについて聞きました。それに対し、稔子さんは「朝礼中だった小学校の同級生たちは全員が原爆で犠牲になっており、彼らのことを思うとずっと被爆証言を話すことができませんでした。けれども、ピースボートでベネズエラに行ったとき、政府の人から、あなたが話さないと、誰が話すの?と言われました。今では自分の被爆証言を話すことが核兵器の廃絶につながりますし、亡くなった同級生も話すように言ってくれている。」と。
また別の参加者は核兵器の存在を肯定する人に対して、証言をした時の反応を質問しました。これに対し、稔子さんは「話をした人の7割が核兵器は要らないと言っているものの、それでも戦争を抑止するために核兵器を持つべきだという人もいます。核兵器は何かしらのミスで誤って使用されることもあり、1度使用されれば地球環境を壊してしまう。やはり、核兵器は地球上からなくすのが1番。」と答えられました。さらに続けて、「地球を宇宙から見ると、船に見えます。すなわち、宇宙船地球号です。みんなが協力しなければその船は難破して、破滅してしまう。奪い合うことだけを考えてしまえば、この世界は滅んでしまう。」と語りました。
証言会を通じて
私は以前稔子さんの被爆証言を聞いたことがありましたが、おりづるプロジェクトの証言会の場では、今回が初めてでした。稔子さんは現在、広島の若者たちと原爆の恐ろしさを後世に伝えるための様々な取り組みをなさっています。稔子さんの根底にある考えは、自分のためだけでなく、周囲の人々や世の中のために行動し、よりよい世の中を共創していく「平和文化」であり、私もこの考えを実践したいと思うようになりました。また、稔子さんは「どうぞ世界中に友達を作ってください」と普段からおっしゃり、実際に稔子さんは、ピースボートで世界中の人に会い、繋がりを作ることを体現しています。
稔子さんのおっしゃる平和文化を体現する人が世界中に生まれることを願っています。
文:岩田壮
編集:渡辺里香