6月1日、スペインのカタルーニャ州バルセロナのFundipau(フンディパウ/平和財団)主催で、坂下紀子さんの被爆証言会・意見交換会が行われました。(57回目のおりづるプロジェクト・オンライン) バルセロナ市内および近郊に暮らす若者ら約40名が集まり、20分の証言会、その後質疑応答や意見交換が行われました。
初めに、フンディパウ会長のカルメ・スニェさんより挨拶がありました。フンディパウではかねてから核兵器廃絶を含む平和教育に力を入れ、今回の証言会に向けて原子爆弾の仕組みや投下の歴史について調べているとのことでした。スペインは核保有国ではないものの、NATO(北大西洋条約機構)に属し、実質的に核の傘の下にあります。ロシアによるウクライナ侵攻が進められる中で、人々はまさに核の脅威を感じています。この企画が、核兵器の恐ろしさを改めて考え、核兵器禁止条約を後押しするよう方向性を示すものになれば、と発言しました。
坂下さんの証言では、広島の爆心地から1.4km、当時2歳だった坂下さんがお母さまやお婆さまから聞いた話をもとに、どのように逃げたのか、どんな風景を見たのか、語られました。吹き飛ばされ、額に釘が当たったため、血だらけの顔になった坂下さん。黒い雨に当たった坂下さんの顔をお母さまが自身の唾で拭いたそうです。大人になってお母さまの甲状腺異常が分かったとき、あのときの黒い雨が体に入ったのでは、と申し訳なく感じたそうです。
印象的なのは、繰り返されたお母さまの言葉でした。「大勢の人を助けることができなかった。申し訳なかった」を通り越し、「そういった人がどんどん亡くなっていくのをただ茫然と見て、可哀そうとも思えなくなっていく自分が怖かった」と加えました。
質疑応答では、原爆投下後、どのように生きたのか。心身ともにどんな状況だったのか。また、先日行われたG7をどのように受け止めたか、などたくさんの質問が届きました。
坂下さんは、被爆者には就職、結婚など様々な場面で差別があり、自分も正規雇用で働けなかった。でも、非正規として入った出版社の社長が被爆者だったため、チャンスを与えてくれたこと。自分はそのチャンスに恵まれたが、被爆者であることが知られて離婚せざるを得なかった友人がいたことを明かしました。G7広島サミットに関しては、「成果について必ずしも満足とは言えないが、短い時間でも資料館を見て被爆者の声に耳を傾けたのだから、それぞれの国に帰って国民に伝えてほしい」と望みを語りました。
1時間はあっという間に過ぎ、最後にこのプログラムの調整役、ルルデス・ベルジェスさんから感謝の言葉があり、ピースボート側からは渡辺里香がスペイン語で挨拶をしました。3年半前に実際にバルセロナで証言を行った坂下さん。若いみなさんに、いつかまた対面で会える日を願い、会を終了しました。
文:ピースボート まつむらますみ