来年行われる80回クルーズでの第6回おりづるプロジェクトの開催が発表され、季節もすっかり秋になりました。色んなものが次のステージへと進む中、改めて8月の報告会に参加したおりパたちの感想や、夏の広島・長崎の様子を振り返ってみたいと思います。
8月に広島・長崎で行われた第5回おりづるプロジェクトの報告会には参加被爆者10名と、船内で活動を共にしたおりづるパートナー(以下おりパ)が参加しました。
報告会以外にも、広島・長崎で行われた多くのイベントや集会に参加してきました。
私は昨年の式典には参加することができませんでしたが、福島の事故が起こる前とは違って今年の広島・長崎では、脱原発も含めた「核」そのものをなくしたいというムーブメントが様々な形で起こっていることを感じました。
それはブースを出展させてもらった原水爆禁止世界大会でも感じることができました。今年の分科会では、「核」そのものが問題視され、特に原子力に関する分科会が大変多く開かれました。原子力そのものを考える分科会や福島の現状を報告する分科会、その他にもグローバル・ヒバクシャがテーマとなっていました。
物販の商品も、原発を題材にしたものが多く置かれていました。
ピースボートも出展させてもらい、福島を支援するための脱原発うちわなどを販売しました。
広島では原水爆禁止世界大会や、ピースボート共同代表の川崎哲もパネリストとして参加したICBUW(ウラン兵器禁止を求める国際連合)が企画する集会など5つほどのイベントに参加しました。
また、元ピースボートスタッフのあびこえりかさんが主催するProject Now!の展示スペースにも行ってきました。ここには多くの若者が集っており、知らない人も含めて語り合える場所になっていました。
そして、自分が失いたくないものをそれぞれが書いて、外のスペースにあるリトルボーイ(広島に投下された原爆の名前)を模した展示物につるしました。
ハンさんの失いたくないもの
初めて原爆投下の日に広島を訪れたおりづるパートナーのハン・スンヒさんは、「街全体が原爆投下を慰霊しているように感じた」という感想を述べていました。
仕事の休みを使って1泊2日で広島に来てくれたおりパもいました。谷井保奈美さんは「まだまだ原発について勉強する必要を感じた。一から知識を身につけたい。」と言って帰っていきました。
この時期の広島・長崎には特別な空気が流れていると感じます。
21時を過ぎても慰霊碑の前には手を合わせにきたたくさんの人が並んでいました。
しかし、報告会でも発言してくれた神田ゆうき君は、「式典での総理の福島での事故の発言に対して、エネルギーの問題をあやふやにしたことにとても疑問を持った」と問題意識の深さを感じることのできる発言をしていました。彼はピースボートのおりづるプロジェクトに関わってから積極的に活動に参加しているメンバーの一人です。
おりパのメンバーは少し入れ替わり、次は長崎へと向かいました!
(サポートスタッフ 坂口理香)
この記事へのコメントはありません。