カリナ・レスターさんはフリーマントルから乗船されている水先案内人のひとりです。
フリーマントルでの2日間では多くのスピーチを行って下さいましたが、詳しくご紹介することができなかったので、今回はカリナさんにスポットを当てて紹介します。
1月27日には船内で「黒い霧の後~オーストラリアと核兵器~」という企画を行いました。
カリナさんのお父様であるヤミ・レスターさんは1953年10月にイギリスが南オーストラリアで行った核実験の被害者ですが、当時わずか10歳でした。
そしてその4年後、14歳の時に失明してしまいましたが、核実験の影響によるものだと考えていたそうです。
失明により新聞を読むことができなかったヤミさんはラジオをよく聞くようになり、ある日のラジオの声に衝撃を受けました。
当時の核実験場の周辺にいた警察官という人が「先住民の人々に、事前に核実験をやるということを伝えた」と話していたからです。先住民の人々は核実験について何も教えられていなかったため、ヤミ・レスターさんは大変憤り、そこから活動を始めました。声を上げたことがきっかけでその後、核実験の被害の実態を調査するための王立委員会が設立されましたが、もし彼が声をあげなかったら今も核実験による被害が明るみになることはなかったと、カリナさんは話します。
カリナさんは自身が10歳の時に、ヤミさんが行ったロンドンでの活動に連れて行ってもらったことを、はっきりとした記憶ではないながらも、とても印象的に覚えているそうです。最初はお父さんがなぜ失明したのか知らなかったそうですが、彼の活動を通して核実験のさまざまな現実を理解しました。14歳で失明してしまったヤミーさんは、残念ながら娘であるカリナさんの顔も、お孫さんたちの顔も見ることなく昨年、亡くなりました。
祖父母や父、またアボリジニの先代方が声をあげ活動してきた姿をずっと見てきたカリナさんですが、「次世代」という言葉を多く使います。次世代が継承し、そして核兵器や核産業、ウラン採掘のない未来を作っていかなければならない、と、力強く締めくくられました。
カリナさんの「このまま本当に核に頼って生きていくのか?他の方法は模索しなくていいのか?」
という問いに、改めてわたしたちの生き方を考えなければならないと思わされました。核産業に頼り、発展と引き換えにどこかで「しょうがない」「きっと大丈夫」となんとなく向き合うことから逃げてきたのではないでしょうか。そのエネルギーを使うことでどんなリスクを負い続けてきたのかということを振り返る機会になりました。
文・おりづるユース 安藤真子
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