7月15日、ピースボート が主催する被爆75周年記念オンライン被爆証言会シリーズ第2回となる証言会がZoomにてオンラインで行われました。この証言会シリーズは、今年が被爆75周年という節目の年であることを受け核廃絶国際キャンペーン・ICANが大々的に展開しているグローバルキャンペーンの一環であり、ピースボート が主催しています。
今回証言をしてくださったのは、長崎の被爆者であり、現在メキシコにお住まいの山下泰昭さん。山下さんはメキシコに40年以上住んでおり、今回の証言会はスペイン語で行ないました。そのため、会にはスペイン語圏各国から様々な方が参加くださいました。またICAN国際運営委員メンバーであり、核戦争防止国際医師会議コスタリカ支部長のカルロス・ウマニャ医師がICANの紹介と中南米における核廃絶運動について発表しました。
第二回証言会被爆者・山下泰昭さん
75周年を記念する今回のオンライン証言会では、「被爆者の生の声を、世界のより多くの人たちに届ける」ことを目標に、多言語にて、世界各地にお住まいの被爆者の方々と共に企画されました。初回の英語による証言(中文、フランス語への同時通訳付き)に続き、世界各地に話者のいるスペイン語による被爆証言をメキシコにお住まいの山下さんが行なってくださいました。
1945年8月6日の広島原爆投下に続き、8月9日にふたつ目の原爆が長崎に投下されました。6歳の少年だった山下さんはこの日、人類史上最も残酷な出来事の被害者となりました。原爆が投下された夏から今年で75年。インターネットの向こうで耳を傾ける100数名の参加者に向けて、山下さんは勇気を振り絞ってその日の辛い出来事を語りました。
証言の中では、当日の様子、原爆投下後のご家族が体験した被害、被爆者が受けた差別などについて語ってくださいました。差別の激しさに苦しみ、自ら命を落とした人も少なくなかったそうです。高校卒業後には酷い出血と気絶が続き、山下さんを診た医者は貧血症と診断、いつ死んでもおかしくないと覚悟しましたが、幸運な事に死は訪れませんでした。
被爆者に対する差別に苦しみ、日本から離れたいという気持ちがあった山下さんは1968年、メキシコオリンピックの求人広告に応募、移住します。メキシコでは本当に温かく受け入れられ、ただの一度も差別を受けることは無かったと証言中に何度も繰り返されていました。ただ被爆者として証言を始めるのはそれから30年後のこと。同地の友人からのお願いに重い口を開きました。
質疑応答の時間では山下さんは参加者からの質問に丁寧にお答えていました。そして最後に参加者に対し、二度とこういう事が起こらないために、この世界から核兵器が廃絶されるよう声を上げるようにと呼びかけました。「小さい行動は無意味だと思ってはいけない。小さい石でも、水に落とせば波が生まれる」と教えて頂きました。
ICANの紹介
山下さんの証言の前に、現在の核兵器廃絶運動の中でも核兵器禁止条約(TPNW)の施行を目標に活動を続けるICANについて、特にスペイン語圏でのパートナー団体の動きや各国政府の条約に対する態度について、コスタリカ人医師でICAN国際運営委員であるカルロス・ウマニャさんが発表を行いました。 TPNWの署名・批准数が発効に必要な最小数(50か国の批准)に近づきつつあること、中南米諸国における核兵器に対する見方の近年の変化、核兵器の絶対悪について、など医師そして核廃絶運動家として包括的に核兵器問題を扱う専門家として興味深いお話をいただきました。
会の途中で山下さんのネット回線が弱まり、急遽ウマニャ医師への質疑応答タイムに切り替わるハプニングが起きましたが、回線復帰まで沢山の興味深い質問にひとつひとつ丁寧にお答えいただきました。
会を終えて
被爆者の証言会は今までに多くなされてきましたが、日本語以外で証言を行える被爆者がオンラインで行う会ということで、今回は本当に各国から様々な方が参加くださいました。スペイン語で聴けて嬉しいという声や日本在住だがスペイン語話者なので時間的に遅く、是非録画を公開いただきたいという要望も開催中に多く寄せられ、関心の高さが伺えました。スペインやメキシコなど、スペイン語圏の報道局の方も参加頂いていたようで、会終了後には山下さんへの取材申し込みなども頂きました。改めて、外国語での証言に対する世界の関心の高さを感じました。
開催中にインターネット回線の関係でハプニングにも見舞われましたが、ピースボート スタッフやボランティアメンバー及びゲストスピーカーのウマニャさんの機転で調整時間中には活発な質疑応答が行われ、参加者からは感謝の声が多く寄せられました。準備時間もほぼないまま、色んな運営業務をこなしてくれたフットワークが軽くチームワーク抜群の実行チームに大感謝!みなさんお疲れさまでした!
ピースボート グティエレス実