7.おりづるプロジェクト・オンライン

核の被害を受けたマーシャルと日本、協力できることは

4月30日、第25回目のオンライン証言会を行いました。今回は、フィジー在住のマーシャル諸島出身の学生で構成される団体MISA(Marshall Islands Student Associationマーシャル諸島学生団体)の皆さんとともに、長期にわたって核実験が行われた地域の皆さんの視点からも核兵器の現状や課題について考えました。
MISAの代表を務めるウェイン・キジナーさんの司会進行のもとで、証言会は始まりました。

MISAの代表、ウェイン・キジナーさん

三宅さんの体験

今回の証言をしてくださったのは三宅信雄さんです。
三宅さんの挨拶の後、三宅さんの証言映像を皆さんと見ました。
映像では三宅さんが16歳の時の被爆体験だけでなく、戦後の被爆者の苦しみについても語られました。戦後、生き残った被爆者は肉体的苦痛だけでなく、精神的苦痛が大きかったそうです。家の下敷きになって動けなかった、または怪我をしてこれ以上歩けなくなった家族や友人を置き去りにした負い目は後年まで被爆者を苦しめました。また被爆者に対する心ない発言や差別は枚挙に暇がありません。
原爆投下から年月が経ち被爆体験の継承が課題となっている中で、三宅さんたち被爆者の受けた被害を忘れずに語り継がなければと感じました。

南太平洋における米国の核実験

証言映像の後、三宅さんはマーシャル諸島における米国の核実験、被爆した日本の漁船および原水爆禁止運動について語りました。第二次世界大戦後、核開発がさらに進み今までに2千回以上の核実験が行われました。マーシャル諸島でも1946年から1958年までに67回の核実験が行われ、広島に落とされた原爆の何千倍もの威力の水爆実験が行われました。今でもビキニ島などのいくつかの島々は人が住めない状態になっており、元々住んでいた島民は故郷を奪われ、現在は別の島で暮らしているそうです。
マーシャル諸島での核実験で最も有名なのが1954年3月1日のビキニ環礁での水爆実験(ブラボー実験)です。このとき約800隻の日本の漁船が放射性降下物、いわゆる「死の灰」を浴びました。そのうちの一隻、第五福竜丸は23人の乗組員全員が被爆し、その中の一人・久保山愛吉さんは半年後の9月30日東京都内の病院で「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい」と言い残して亡くなりました。生き残った乗組員も多くが40代までに亡くなりました。また、第五福竜丸が捕獲したマグロも原爆マグロだと言われ、無情にも捨てられてしまいました。

死の灰をあびた「第五福竜丸」

このとき日本はアメリカの占領から独立を回復したばかりでした。占領下の中で、GHQは原爆についての報道を禁止していたため、国民の間では噂ばかりが伝わり、本当の原爆被害を知る日本国民は少数でした。しかし、久保山さんの死を契機に、一人の主婦が立ち上がり、原水爆禁止運動が高まって、1955年8月6日には広島で第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。ここで初めて被爆者は自分が受けた被害を公に訴えることができました。そこから半世紀にわたり、被爆者は核兵器廃絶を訴え続け、今年1月に核兵器禁止条約が発効したのです。

核実験、第五福竜丸のことをお話する三宅さん

ここまでを三宅さんは語られました。今年1月の核兵器禁止条約発効までには、マーシャル諸島の核実験がきっかけで始まった原水爆禁止運動の流れがあり、この運動を絶やさず、これからも続けて欲しいという三宅さんの思いが伝わってくるお話でした。
その後、質疑応答の時間に移り、時間の許す限り皆さんの鋭い質問に一つ一つ丁寧に三宅さんは答えられました。MISAのメンバーの一人は「福島の汚染水が太平洋に放出されることについて興味を持っており、三宅さんご自身はどのように考えているか」と聞きました。三宅さんは「汚染水を海に流さず、大きなタンクで保管すべきであり、いくら海に流すのが科学的に問題ないと言ったとしても人々は安心できない。科学的な安全と人々の安心は違っており、この2つを考えなければならない。」と答えられました。

また、別のメンバーは「日本は核兵器禁止条約に批准していないが、それはどうしてか知りたい。マーシャル諸島もアメリカとの関係があってできていない」と。三宅さんは「私にとっては残念なことであり、日本はアメリカとの関係で批准していない。日米安保条約を結んで以降、アメリカに追随している。アメリカの軍事同盟を全否定はしないが、そういった関係とは分けて考えるべき。」と答えられました。

証言会を通じて

今回、核実験の被害を受けた国の一つであるマーシャル諸島の方々と証言会を行い、お話を伺いました。MISAのメンバーが生態系や環境を大事にしていて、そういった質問を多くされていて、マーシャル諸島のきれいな海を見て見たくなりました。それと同時にマーシャル諸島での核実験について学び、多くの人々が故郷を追われた悲惨な歴史について深く知りたいと感じました。
“We are not alone.(一人じゃない)”は今年の核被害者追悼日(ビキニデー)に、マーシャルの人たちが訴えたメッセージです。核の被害を受けた国々が手を取り合い、お互いの記憶を共有し未来に継承していきたいです。

広島ドームの前で”We are not alone”のメッセージを示す、本記事報告者・岩田壮

MISAが主催したビキニデーイベントに向けて、広島で原爆を経験した三宅さんからも連帯を示すビデオメッセージを寄せました。

三宅信雄さんから連帯を示すビデオメッセージ

 

文:岩田壮
編集:渡辺里香

関連記事

  1. 未だ150の核弾頭を保有するインドの人にも知って欲しい
  2. チリに住む日系人として、学ぶことがたくさんある
  3. 広島で被爆し、ブラジルに移住した渡辺淳子さん
  4. 莫大な費用で核兵器を作っているインド。一人一人が考え動くことが大…
  5. ノルウェーが核兵器禁止条約にオブザーバー参加することが嬉しい
  6. コロンビアなどのロータリーフェローに、「核兵器禁止条約をサポート…
  7. 被爆者の記憶から学び、オーストラリアや日本が批准するよう声をあげ…
  8. ベネズエラ・ラグアイラ市長の言葉が、証言を始めるきっかけ
PAGE TOP