2021年8月9日、長年ピースボートに携わってきたホセ・バーゲス(Jose Varghese)さんは、Y’s Men’s International主催、広島・長崎の原爆犠牲者追悼式に参加しました。Y’s Men’s InternationalはYMCAのパートナー団体であり、ピースボートが掲げる「核兵器のない世界」という目標を共有しています。このイベントの目的は、核兵器の危険性に対する認識を広め、軍縮を全面的に推進することでした。
この日の追悼式では、核兵器の犠牲者に捧げるため広島市長の平和宣言を読み上げ、そしてピースボートが提供した被爆者の証言ビデオを上映することにしました。
ホセさんは、「悲劇」ではなく「和解と希望」の象徴となることを選んだ広島と長崎の人々を称賛し、そして両都市を訪ねた自身の体験や、ピースボートに乗船した時の素晴らしい経験について語りました。また、Y’s Men’s Internationalがこれまで果たした役割、特に第一次、第二次世界大戦中には難民保護に尽力したりと、どんな時も平和のために活動してきたことを振り返りました。
「核兵器廃絶」は彼らの掲げる目標のひとつ。「リスクをなくす唯一の方法は、核兵器をひとつ残らずなくすこと。」 とホセさんは話します。そして、「このために若者がもたらすインパクトは大きい。若者にこそ、国や政府に影響を与える力がある。」と信じています。
続いて、参加者に向けて和田征子さんの証言ビデオが上映されました。ビデオでは和田さんが1歳10カ月のときに体験された、想像を絶するような当時の様子が語られていました。ひどい火傷を負い、負傷した人々が蟻の行列のように山を越えて逃げようとしている様子など、母親から聞いた話をもとにお話しくださいました。最初は看護師として負傷者のお世話をすることになったお母さんでしたが、負傷者を前に失神してしまい清掃係に移されたそうです。それは、患者の体についたウジ虫を取り除く仕事でした。
和田さんのお母さんは放射線の影響で人生の大半を様々な健康被害で苦しみました。しかし、日本とアメリカの両政府が重要な情報を検閲していたため、多くの被爆者は自分がなぜ病気になったのか分かりませんでした。そして、悲しいことに放射線による悪影響は身体への被害だけではありませんでした。彼女をはじめとする多くの被爆者は社会から差別され、仕事や家庭を持つことすら困難だったのです。
和田さんは長い間、母親の体験は自分が語るべきものではないと感じていました。当時まだ赤ちゃんだった和田さんは、その時の状況を自分の母親と同じようには表現できないのではないかと思ったからです。しかし、母親をはじめとする多くの被爆者が亡くなってしまった今、和田さんはその活動を引き継ぐため自分に出来ることをしようと決心しました。今では母親の体験を自分のものにし、ホセさんのように平和を願うたくさんの人たちに語り継いでいます。核兵器が二度と使われないことを願って。
文:イライジャ・クック
翻訳:高尾桃子
編集:渡辺里香