7.おりづるプロジェクト・オンライン

ウズベキスタンの大学生に「地球上に核がある限りは核戦争が起こる可能性はなくならない」と

2022年1月21日ピースボートの「おりづるプロジェクト・オンライン」第51回目の証言会は、ウズベキスタンにて開催しました。
今回はウズベキスタンのタシケント国立東洋学大学で日本語を学ぶ学生54名に向けて。今回受け入れをしてくださったのは、日本語学部で日本語を教えているジャスル・ヒクマトラエフさん。

タシケント国立東洋学大学で日本語を教える、ジャスル•ヒクマトラエフさん

被爆証言をお話いただいた岡本忠さんは、現在は広島平和記念資料館所属の「ヒロシマ・ピース・ボランティア」や福島県南相馬市でのボランティア活動等に尽力されています。被害の実態を、数値もつかい詳細に話してくださり、体験していない私たちでも脅威がイメージできるそんな証言でした。自身は1歳5ヶ月と記憶のない時に原爆の被害に遭っているので、お母様と当時一緒に住んでいたおじさんの被爆体験記を元に伝承講和を続けていらっしゃいます。

当時の家族構成

原爆は昔話ではない

エルヨル・マッチャノフ日本語学部長さんは、自身が日本に訪れた際に初めて行った広島の原爆ドームでの気持ちを振り返りました。大雨だったにもかかわらず数時間も立ち尽くしてしまったことや、佐々木禎子さんの証言を聞き、折り鶴を折った時の気持ちは言葉にできないと語りました。

エルヨル•マッチャノフ日本語学部長

日本に留学に行く学生には、「日本の心まで学びたいのであれば長崎や広島に必ず行ってほしい」と話をしているそうで、「今回の証言会は学生だけでなく、参加している教員にとってもいい機会になると思う」と話しました。

岡本さんは、現在も地球上に核は1万3100発あり、そのうち約3800発がすぐに使えるような状況になっていること。今後いつ核戦争が起きてもおかしくない状況にあること。広島長崎での原爆投下で多くの被爆者が死に、その後も被爆したことで苦しみや健康障害と闘う方が多くいることを自身の苦悩も含めて証言してくださいました。

記憶のない被爆

岡本さんとお母様は、爆心地から2kmの地点にある自宅にて寝ているときに被爆。
もちろん寝ていたので被爆したことに気がついておらず、お母様は岡本さんの泣き叫ぶ声で目を覚ましたそう。周りは真っ暗、被爆で建物が潰れそこに下敷きになっていたためでした。

夢中で岡本さんを助け出し建物から脱出するも、外の様子は一変。周りの家は押しつぶされ道路もよくわからない状況になっており、岡本さんを抱えたお母様は立ちすくんでいました。
どこに逃げたらいいのかわからない時、近くの方に声をかけられ道なき道を通り近くの山まで避難したそうです。

その当時の広島市内には35万人ほど暮らしていましたが、うち14万人が原爆投下された年の年末までに亡くなったと言われています。

不十分な生活でも生きていく

被爆をし、家をも失った一家は親戚を頼りに里へ行くも、生きていたことに関しては喜んでくれたものの、頼って帰郷したことは歓迎してくれませんでした。なかなか家は見つからず、やっとの思いで見つけたのは農家の納屋。2階の狭い一間だけで3年ほど生活したといいます。
それでも、行くあてのなかった一家にとっては雨風が防げて一緒にいられることが幸せだった、と。

その後、お父様が働いていた工場は閉鎖。その廃材を使い家を建てたものの、お金がないので電気を通すための電線を引けず家の灯りはランプだけ。
夜は薄暗く不便、台風が来た時には近くの川が増水して床下まで水が来ることも。また、お米を買うお金がなかったので、黒い麦飯を食べていました。食べ盛りの子どもにとっては苦しかったことでしょう。
服や教材も新しいものを手に入れるのは困難で、近所の人や親戚から譲ってもらい過ごしました。

とても十分とはいえない環境のなか、苦しみや悩みを経験しながら生きてきたそうです。

被爆者であることによって

また、被爆の際に残った傷、被爆した影響からの将来への不安などに大変苦しみました。

被爆時の怪我は大きな傷跡になり、左腕には皮膚がつっぱる後遺症が今も残ります。
被爆者であることで、結婚を断られるのではないかと長年悩み話せませんでした。
また、子どもが産まれるたびに五体満足で生まれるのかという不安に駆られたそうです。

大きな症状が出て、恐怖

子どもの頃は何もしていないのに鼻血が出る、40歳では歩くことさえだるくなり無気力、70歳になるまで月に1回は風邪をひく、、、、そんな状態でした。
63歳の時には7回も腹痛に苦しみました。朝方4時ごろに激痛で目覚め大量の汗をかき、得体の知れないだるさに襲われ意識がなくなり、死の恐怖を感じるようになりました。
最後の大きな発作では、トイレに向かう階段の途中で意識を失い階段から落下し、下にあった椅子にぶつかり大怪我。結局、病院で検査を受けるが原因はわからないまま。

繰り返さないために

証言の最後に岡本さんからウズベキスタンの皆さんに向けてこう伝えました。
「忘れられた歴史は必ず繰り返されます。日本に原爆が投下されたことを決して忘れてはいけない。地球上に核がある限りは核戦争が起こる可能性はなくならない。核兵器のない世界平和に向け、身近からできることをしていきましょう。ぜひ家に帰ってからゆっくり考えてみてほしい。今日聞いてみて感じたことを忘れないで、家族や知り合いの方に話伝えてください。始めることで小さな平和の輪ができ、数が増えると平和の輪が広がっていく。」

ウズベキスタンで日本語を学ぶ大学生たち

証言会に参加して

被爆の脅威は、短期的な壊滅的な被害だけでなく、因果関係がはっきりしない長期的な影響や被害があります。これが被爆者を苦しめる一つの要因であると思いました。
私は普段カンボジアの地雷を除去するための活動にも携わっているのですが、共通点として、小さな一歩でも積み重ねで大きな一歩に変わっていくこと。
今回のような証言会という機会を多く作り、一人でも多くの方に伝えていくことが必要であると、再度考えるいい機会になりました。

文:河合由実

編集:渡辺里香

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