2025年_ヒバクシャ地球一周(Voyage120)

戦争の加害と被害を見つめる——ドイツ・ハンブルクでの学びの1日

ドイツ・ハンブルクに寄港したこの日、私たちは戦争の加害と被害の両面を見つめ、未来の平和にどう繋げていけるのかを考える、深い学びの1日を過ごしました。

午前中は、現地のパートナーメンバーや関係者、約60名がピースボート船を訪問。船内に設けられた「洋上特別ノーベル平和センター」を見学しながら、被爆者との交流の時間も持ちました。第1回おりづるプロジェクトにユースとして参加していた国本隆史さんも、今回はご家族で訪れてくださり、久しぶりの再会が実現しました。

その後、主要メンバーとともに市内の歴史をたどるツアーに出発。移動の途中では、パートナーの一人が「港のすぐそばの大通りは、かつて東西ドイツの国境だった」と教えてくれるなど、ハンブルクの歴史について多くの解説をしてくれました。また、「ビートルズはリバプールだけでなく、ハンブルクでも初期に活動していた」という話もあり、街の様々な顔を知ることができました。

ハノーファー駅にて

最初の目的地は、現在は使われていないハノーファー駅。ホームだけが残るこの場所は、かつてアウシュヴィッツ強制収容所へ向かう列車が発着していた場所でもあります。
プラットフォームには「何月何日に誰が乗せられたのか」という記録が書かれたパネルが設置されており、ガイドの方が用意してくれたキャンドルに火を灯し、皆で黙とうを捧げました。名前が残されているのは、乗車時に一人ひとりの氏名が書き留められていたからだと説明がありました。同行していた水先案内人の中谷剛さんは「私はこのあとポーランドに向かい、アウシュヴィッツに戻ります。当時の人々と同じルートをたどることになり、複雑な気持ちです」と話してくれました。

ハノーファー駅近くの公園にあるホロコーストの歴史を伝える展示施設

駅へ向かう途中の公園には、小さな展示施設も設置されており、ホロコーストや人権侵害の歴史についての紹介がありました。大きな施設ではなくとも、日常空間の中に歴史を記憶し続ける努力が感じられました。

続いて訪れたのは、聖ニコライ教会。
第二次世界大戦中の空襲によって破壊され、今も焼け跡の一部が残るこの教会は、戦争の被害を今に伝える場となっています。教会の地下は博物館として整備されており、当時の空襲の様子や市民の暮らし、防空の工夫などが展示されていました。

ガイドによれば、空襲は「悪魔の週間」と呼ばれるほど長期間にわたって行われ、最初に屋根を吹き飛ばす爆弾、次に建物を焼くための爆弾が投下されるという手法だったとのこと。市民たちは日常的に避難訓練を行い、子どもたちが遊びの中で防空行動を学べるよう、シェルターの上に公園を作ったり、ボードゲームを開発したりしていたといいます。

ハンブルグの空襲被害について学ぶ被爆者

 

館内では、ドイツ各地に設置されている戦争追悼モニュメントの情報を紹介するブースもありました。水先案内人のミランダ・カーズさんは「ぜひ“つまづきの石”の紹介も入れてほしい」と強調してくれました。“つまづきの石”とは、ナチスによって命を奪われた人々の名前を刻んだプレートで、今もドイツの街角に埋め込まれ、日々の暮らしの中で記憶を呼び起こす役割を担っています。

この場所を10年前にも訪れていた被爆者の伊藤正雄さんは、「当時はまだこの場所は集会室のような空間で、空襲を経験したサバイバーの方と直接対話をした。そのときの言葉の力強さが、今でも心に残っている」と振り返り、ガイドの説明だけでは伝えきれない、当事者の声の重要性を語ってくれました。

学びのツアーを終えたあとは、ハンブルク大学へ移動し、被爆証言会とディスカッションを実施。参加者からは「勇気を持って証言をしてくれてありがとう」との声が寄せられ、あたたかくも真剣な雰囲気の中で平和の重要性を共有する場となりました。

ハンブルグ大学での交流

この日、私たちはかつて日本と同盟国であったドイツで、戦争の歴史と向き合い、「戦争には加害と被害の両面がある」ということを、実際の場所に立ち、現地の人々の言葉に耳を傾けながら学びました。その一つひとつの経験が、これからの平和への行動に繋がると信じています。

(文:橋本舞)

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