2011年2月5日(土)、ピースボートはタヒチのパペーテに寄港しました。
おりづるプロジェクトでは、参加被爆者が寄港地にて証言活動や現地の人々と交流する「おりづるプログラム」を行っています。今回の現地ツアーでは、参加被爆者だけでなく、横浜~タヒチまで乗船していた太平洋プロジェクト(グローバル・ヒバクシャ・フォーラム)のメンバーであるオーストラリアのウラン採掘に反対するメンバーや、タヒチのフランス核実験の被害を訴え活動をしているモルロア・エ・タトゥ(MET)のメンバー、そして高校生平和大使も参加しました。
今回はこのタヒチでのプログラムについて、乗船している被爆二世の阪口博子(さかぐち ひろこ)さんからレポートしていただきます。
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朝8時30分すぎ、バスにてモルロア・エ・タトゥ(MET)の記念碑であるマラエにて慰霊を行いました。METの会長であるローラン・オルダムさんから、この場所についての説明を受けました。核実験の被害国であるフィジーから訪問を受けた際石を送られたれたので、精霊の宿るこの場所にその石を設置し記念碑としたそうで、現在ではタヒチ周辺の島々やカザフスタンなど世界各地の石が置かれています。また、以前からMETの支援活動を行い、今回ピースボートで4回目のタヒチ訪問を果たした長崎の被爆者・奥村英二(おくむら えいじ)さんが以前持参した長崎と広島の石も置かれていました。
慰霊の儀式では、原爆被爆者を代表して壷井進(つぼい すすむ)さんが挨拶し、オーストラリアやタヒチのひとたちとともに力を合わせて問題解決のために努力したいと宣言されました。また、オーストラリアの歌手であり、ウラン採掘に反対する活動家でもあるデラ・レイ・モリソンさんはタヒチの美しい自然と同様に私の大地をこれ以上汚さないでと訴えました。
次に、仏領ポリネシアの前大統領で現・領土議会議長のオスカー・テマルさんを表敬訪問しました。ここでは末永浩(すえなが ひろし)さんが原爆被害を証言。ご自身の体験と母親の体験を交え話されました。
また、オルダムさんはタヒチの緊急課題として環礁の陥没により、津波の危険にさらされており、早急な政府の対応を求めていることや、仏政府に対しタヒチ政府は30年間の核実験被害の補償をを求め交渉すべきと訴えられました。
そして私たちは、グローバル・ヒバクシャ・フォーラム提言を発表しました。
テマル前大統領は、最初に国際社会に核実験被害のことを訴えた人です。ポリネシア国として、人権に対する犯罪として国際的裁判に訴えることが必要で、ドゴール元仏大統領は我々を支配し、核実験を行い、その事実を当事者である住民に知らせなかった犯罪者であると激しく糾弾されました。
軍公舎が島全体で20パーセント近くを占拠しており、フランスに頼ってきた経済の中で、独立を強く訴える前大統領と、この間同行した若者の意識に多少ずれを感じ、政治的困難さを考えさせられるツアーとなりました。
(阪口 博子)
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