1.ヒバクシャ証言の航海

広島報告会で継承を考える。

みなさんこんにちは。

ピースボートインターンの鈴木慧南です。

今回は広島での報告会の様子をお伝えします。

報告会には30名くらいの方が参加してくださり、 過去におりづるプロジェクトのメンバーとして 乗船していた方も多く、懐かしい再会になりました。

まず、第10回おりづるプロジェクトのメンバーから 船旅で印象に残っていることを それぞれ話してもらいました。

長崎で被爆した三瀬さんは 「この航海中に核兵器禁止条約が成立したのが 一番に大きなニュースだったと思います。

寄港地での思い出を語る三瀬さん

でも日本が参加すらしていないことが 被爆者としては怒りを覚えている」と 正直な思いを話してくれました。 広島の被爆二世の山村さんは 「とにかくいっぱい友達を作りました。

船内での思い出を語る山村さん

そして事あるごとに声をかけていったら 本当にたくさんの方が協力してくれました。

千羽鶴を折れたのもそのおかげです」と 船内の繋がりの強さを話してくれました。

その後、おりづるピースガイドになった若者2人から それぞれスピーチをしてもらいました。

愛媛出身の近藤龍平くんは最初は 原爆にも核兵器にも歴史にもまったく関心がなかったしそうです。 しかしおりづるプロジェクトなどを出会う中で 少しずつ知らないといけないと意識が変化しました。

その中で彼が一番関心を抱いたのが 在外被爆者の存在と日本の加害の歴史です。 戦時中に原爆が落とされたのは日本だけですが 原爆の被害にあったのは日本人だけではありません。

強制労働で連れてこられたアジアの人々や 捕虜として捉えられたアメリカ兵など さまざまな国籍の人が被害にあいました。

しかし、日本人と同じように補償を受けられず 苦しみながら生きてきました。

そんな彼らにもっと寄り添うべきではないかと 近藤くんは強く訴えかけていました。

船旅を通して、おりづるプロジェクトと関わり感じたことを話す。

次に姫路に住んでいる橋本舞さんからも スピーチをしてもらいました。

橋本さんは参加被爆者である田中稔子さんの 証言をもとに、自分で感じたことも踏まえながら 話をしてくれました。

橋本さんは被曝体験を知らない世代が 想いを受け継いでいく過程の中で 答えることのできない質問なども 出てくるはずです、と指摘しています。

しかし、繰り返さないために学び、 自分の想いを乗せて継承していくことが 大切だと話してくれました。

田中さんの被爆証言を継承をしていく橋本さん

おりづるピースガイドになった2人は元々そんなに戦争やヒロシマ・ナガサキのことに興味があった訳ではありません。

おりづるプロジェクトと、被爆者の方々と関わるにつれて、仲良くなった被爆者の想いを語り継ぎたくピースガイドになりました。

これから日本で世界でどんな活動をしていくか楽しみです。

その後に核兵器禁止条約について 川崎さんから短い講義をして頂きました。

核兵器禁止条約の成立を喜ぶ一方で いかに日本政府に訴えかけるのか、 市民と被爆者が手を取り合う必要があると話していました。

核兵器禁止条約について語る川崎さん

夜には年に1度の懇親会を行い、 さまざな世代と交流を深めました。 懐かしい再会もあり暖かい会になったと思います。

広島は72年目の夏を迎えます。 それぞれの思いを胸に、夏の広島をゆっくりと 感じていきたいと思います。

ピースボートインターン 鈴木慧南

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